日本の「察する文化」は失われつつある――ラーメンの鬼、死去に想う


Four Seasons of Japan / Joe Sakimoto & Haruki Mino

支那そばや」創業者のラーメンの鬼・佐野実(63)が今月11日、多臓器不全で亡くなった。

哀悼の意でインタビューを再録したという以下の記事を読んでいて思ったのだが、日本の「察する文化」はだいぶ前から失われつつある。

ラーメンの鬼・佐野実さんが死去。生前語った「私語禁止の店」にした想いとは
http://joshi-spa.jp/86473
「携帯や香水、私語、これらは全部ラーメンを邪魔するもの。だって、食べてる途中に携帯で話してたらラーメンが伸びちゃうだろ。香水もラーメンのニオイを消しちゃう。ウチはカウンター15席の小さい店だったから周りにも迷惑」

ここまで佐野実に言わせたことを恥ずかしいと思わなければならない。

何故、「私語禁止」にしていたのか、それは店主の何の考えもない我が儘なのかどうなのか、その背景を「察する」ことが礼儀であり、マナーであり、「粋」だったはずだ、かつてのこの日本では。

ここまで説明されて、それでも尚、理解できないという人もいる。世の中が便利になると、色々なツールを駆使して自分の思い通りにできるようになってくる為、「察して従う」ということをしなくなる。全て「自分がどう思うか」に偏ってくる。

なので、こういった拘りのある店は、食べログで一部の人間に酷評される。「支那そばや」は有名店だから問題ないだろうが、知名度のない店には拘りが仇となってしまう。そして本当の心のある店は廃り、何も考えない自己中心的なファストフードばかりが生き残ってしまう。それが「日本」になってしまう。

今「日本の察する文化」が海外で大絶賛されている理由4つ
http://itmama.jp/2014/04/13/58072/

日本のサービスを素晴らしいと思ってくれるのは、もはや外国人だけなのかもしれない。

bento.jp」などのファストデリバリーが流行るように、食を単なる消費としてしか捉えないようになってきているのではないだろうか。ファストフードが原因で味覚オンチになっている若者も多いと言われているが、店や風情に趣を感じ取り従うことを避け、自分都合で全て片付けられるファストのサービスへ傾倒しているのは、「おもてなし」の精神など育まない。日本の「察する文化」は既に失われつつあり、この海外の賛辞は皮肉になりつつある。

意外と認識していない人が多いが、日本は世界でも稀な「四季」のある国だ。「四季」のある国の人間は、感情が他の国々に比べて非常に豊かになると言われている。今、自分を振り返ってみて、その実感があるだろうか。高齢の人たちと話をしていると感じられるが、若い人たちと話をしていてもそれが感じられることはほとんどない。海外で絶賛されているサービスは、今生まれたサービスではなく、古の世代が作り上げた「伝統的なサービス」だということに、気づかなければならない。

ラーメンの鬼・佐野実の通夜は4月17日(木)午後6時より、葬儀・告別式は4月18日(金)午前10時半より、佐野家とサノフード社の合同葬として新横浜総合斎場横浜市港北区新横浜1-7-5)で執り行われる。

(平成26年4月14日 アシベズヘア@ashibehair_m

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