心配の「種」は、自分ではどうしようもない事


Dad worry disease / Okada A-min

私は心配性だが、心配性には種類がある。

そもそも心配症というのは、自分が想定した通りに事が運ばなかったケースを恐れる心であり、そのストレスが強ければ強いほど心配症ということになる。自分の思い通りにならないと気がすまない厄介なタイプの人間だとも言える。

逆は、想定外のケースに動じない人だ。メンタル面が非常に強く、自分の力でどうにでもできると思っている人、そもそも何も考えていない人、そして、仲間を信頼している人、というのが考えられる。仲間を信頼できる、という選択肢がある人は、仲間が多いほど、人として強い傾向にあると感じる。

私は仲間がいなかった為、誰にも頼ることができなかった。頼れるのは自分の力だけ、何かあったら助けてもらいなさい、という親や教師の言葉は、その言葉事態が非常に自分にとっては困難で助けてもらいたい状況だった。仲間を作らないのが悪いのかもしれないが、そういう体質の人は多い。

「ソリタリー」という多様性を考えることすらできない愚かな人たち
http://www.materialize.jp/art/column-essay/5036/

仲間に聞けない。私の心配性が発揮するのはまさにそういうケースだ。仲間はいない。自分の力でどうしようもないケース、それは、『忘れ物』だ。

私は忘れ物には敏感だ。とにかく、何度もチェックをする。

学生時代は、通学中に教科書を忘れたことに気づくだけで、引き返し仮病を使うほど忘れ物へのストレスに敏感だった。移動中はずっと、忘れ物はないかを考えていて、他のことは考えていない。

それは今でも変わらないところがある。例えば筆記用具を忘れただけでも、私は引き返してしまうのだが、見知らぬ人から筆記用具を貸してくれと言われたら、私は貸す。おそらく、多くの人が、親切で、貸してくれるだろう。しかし、私は、貸してくれない最悪ケースが頭にこびり付き、そのストレスを払拭できない。

携帯を前ポケットに入れていると、精子の「質」が落ちるかもしれない
http://news.livedoor.com/article/detail/9060818/

男性には衝撃の走る結果ではなかっただろうか。以前、携帯電話が脳に悪影響を及ぼすというニュースを紹介したが、今度は精子である。

私は忘れ物へのストレスが非常に大きい心配症なので、肌で感じられるポケットにほとんどの道具を持ち歩く。携帯電話はもちろん、ハンカチ、ティシュー、カギ、名刺、ボールペン、メモ帳、財布、PiTaPa、など、鞄は、引っ手繰られたらどうしようというストレスがあり、本当に無くなっては困るものは、肌身離さず持ち歩いてしまう。

私は精子を犠牲にしても、これを止めることができない。携帯電話は、前かがみになった時に、胸ポケットから落としたことがあるので、ズボンのポケットしか考えられないのだ。

どうにかなると言える人が、羨ましい。と思うことも多いのだが、心配症の人は、他者への憧れがより強いかもしれない。

(平成26年7月21日 アシベズヘア@ashibehair_mfacebooknoteSUZURI

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