まさか、ペット飼う感覚で産んでみたのか?


Two dogs that went into the basket / PIEARTH

育てる気が無いなら産むなとか親失格だとかいう声も例によって多いのだが、親になる自信がないとか望んでいなかったのに妊娠してしまった場合に「中絶」を選択したらそれはそれで親の敵のように人殺しだとか言って非難するんだから、育てる自信がないのに産まされて、それで案の定こういう自体にまで追い込まれたらやっぱり責められて、じゃあどうしろっていうのよってのがこういう問題をどんどん誘発しているんでしょう。

子供置き去り483人、餓死寸前も…過去3年
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140626-OYT1T50176.html

そしてそもそも責任持てないならセックスするなっていういつもの極論大呪文を唱える大魔道士が出てくるけどそんなことは無理に決まっていて、やるなって言ってやらないなら昔から同じことを繰り返し世間は言ってきたんだから、それが効果のないことだっていうのは分かってて敢えて言ってるでしょう。面白がって。自分のストレスの解消に。

学校の性教育が不十分で悪いんだ指導しろって言えばまたさらに学校がブラック企業化するって話になるんだし、そもそも教師の話なんて聞いてないし、「中絶」を肯定しているわけではないけど、何も考えずに人殺しのレッテルを貼るのはやめてあげたらどうなんだ。そんなにレッテルを貼るのがやめられないなら、誰かが「絶対に」代わりに育ててあげる助けてあげるようにしないとペットブームじゃないんだから、ぽんぽんぽんぽん捨てられる子供が増えるだけだ。

1.金がない
2.仕事がない
3.本当は端から産みたくなかった
4.ペット飼う感覚で産んでみた

人殺しのレッテルから逃げるための「3.」かと思っていたが、まさか、「4.」が急増してるが正解か?

人間関係が希薄になった文化が当たり前になってきて確かに私が小学生くらいの時は親戚なんかの赤ん坊とか小さい子はよく付き合いもあって接することが多かったけど、それ以降、中学以降、子育ての大変さであるとか喜びであるとか、多感な時期にそういう話すら体験がまったくなく皆無であった。

子育ては人間の営みなのに、ペットショップのガラスの向こうに存在する小動物たちに好奇心と期待を抱いているような、そういう「可愛い」の一言で済まされてしまう愛玩動物的な幻想的な位置にまで人間の赤ん坊が現実ではないものになってしまっているんじゃないだろうか。

例えばママドルが脚色する表面の可愛らしさが全面に出た子育てを信じてしまっていて、煩わしい苦労を想像できる体験もこれまでになかったから、小学生がうさぎや猫や犬を一瞬の楽しいイメージだけで欲するような感覚がまさに同じなのだ。猫の可愛いショットと、赤ん坊の可愛いショットは、まったく同列で区別がないということだ。

そしてこれは、動物園で赤ん坊の頃から人間に育てられた為に育児放棄してしまう動物と同じじゃないか。子育ての理を自らが体験していないから、想像できないし本能にまったく響いてこない。自分が産んだのに、人の子と思えない。自分は人間なのに、人間から生まれた人間の子が人間とは思えない。

気づけば、子供と大人の境目も規制が本当に厳しくなって、子供も赤ん坊も、本当に遠い遠い存在になってしまった。なかなか気づくことなかったけど、こんなに子供って、赤ん坊って、遠い存在だったっけ?

(平成26年6月29日 アシベズヘア@ashibehair_mfacebooknoteSUZURI

note版:まさか、ペット飼う感覚で産んでみたのか?

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