48年、12422日の時間を奪われること、想像できますか、できるわけがない――袴田事件


Emergency interrogation room / Yuki Hayashi

死刑にはどちらかと言えば賛成だったのだが、今回の「袴田事件」で考え方が大きく変わった。

「刑事司法の理念からは耐え難い不正義」――袴田事件で再審開始&釈放を命じた決定を読む
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140329-00034017/

利己的な考えで何人もを殺めた者が、例え二度と出てこれないとしても、刑務所の中で些細な喜びなどを見出してしまうこと、それは遺族にとってあまりに侮辱的なことだと私は考えていた。亡くなった人たちは、以後、その些細な喜びすら得られなくなっているのに、その命を奪った者は、長い時間の中で笑うことを何度も許される可能性があるという事実が、奪った命を極めて軽んじているようで、それは本当に許せない思いだった。

しかし、今回の冤罪事件で、自分が冤罪の可能性を完全に無にしていたことが分かった。これは自分の視野が非常に狭かったということに尽きると思うが、小学校や中学校の稚拙な学級裁判にしても、冤罪を疑うという文化が皆無だったと今になって思う。罪を認め、謝罪し、償うことを強要される。そこに疑問がなかった。ちょっと異なるが、多数決で解決してしまう学級裁判をあざ笑う武富健治の「鈴木先生@ポケットにナイフ」は小気味い作品だ。

今回の「袴田事件」で釈放された袴田巖さんは78歳だ。痴呆が始まっているという。病死もあり得たかもしれない。冤罪で、死刑執行されてしまうことの無情を今回、本当に痛感させられた。痴呆になるまで、刑務所の中に放り込まれたままという状況、想像ができるか。自分に置き換えて考えることができるか。元死刑囚の中にも、実は冤罪の人はいたかもしれない、生きていれば望みはあったかもしれない、自分に置き換えて考えてみれば、これほどの無念はない。いや、無念なんていう言葉では済まないでしょう。30歳で、人生これから、というところで、人の一生を司法によって無きものにされる、生き地獄でしょう、まさに。司法がむしろ厳しく罰せられるべきで、冤罪だったね、ちゃんちゃんで済ましては絶対にいけない。48年という時間は、決して返ってこない。48年です、今から48年、奪われることを想像してみてください。一体、何ができますか。12422日です。48年もあったら、何でもできます。次は我が身かもしれません。改めて恐ろしいことです。

一方、昨日、「飯塚事件」では、福岡地裁が再審請求を棄却している。こちらは既に死刑執行されている。

(平成26年4月1日 アシベズヘア@ashibehair_m

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