食べログの過ちは、「舌」を蔑ろにしたことだ


tabelog / ishiya

 最近はすっかり「食べログ」の批判を聞くことが多くなった。リアルな生活でもそうだし、ブログメディアでも取り上げられていることが多い。これはもう「食べログ」に取って代わる新しいサービスが必要な時期に来ているということなんじゃないだろうか。

 「食べログ」の批判をする人たちは、やはりあの評価に対してとても懐疑的になってきている。それはこれだけ世間に浸透して、「食べログ」を色んな人が幅広く経験したからで、「評価とは一体なんなのか?」というところに誰しもが行き着いたからだ。

 「食べログ」の評価は実はユーザーにとってすごく難しい仕組みになっていると思う。今になって思うが、”総合点”にしているのが批判の最もたるだ。

 例えば、漫画の評価だったら、とにかく「面白いかどうか」が知りたい。絵柄がどうとか、著者の経歴がどうとか、そういったことを総合した評価を人に伝える人はあまりいない。結局、それ、漫画として、「面白いの?」というところが重要で、私も年に何十作品も新しい漫画を読むが、作者の名前すら見もせず内容だけしか見ていない漫画なんてザラにある。面白かった場合に、初めて作者の名前を知って、その作者の別の作品を読む、ということの方が遥かに多い。

 漫画の評価をするなら、とにかく「面白いかどうか」、じゃあ、食の評価をするのなら? 「旨いかどうか」でしょう。「食べログ」の評価はそうではない。「食べログ」の評価は、「食事処としてどうか」なので、店員の態度や、店の清潔感、雰囲気、など、総合的な判断が下されている。なので、めちゃくちゃ旨い名店であっても、店主が昔気質のうるさい頑固オヤジだったら、低評価になっているのがこの「食べログ」だ。

 ここが批判の元だ。みんな、「旨い店はどこかな?」と思って、「食べログ」の高評価の店を探している。味はそこそこだけど、雰囲気がいい、コストパフォーマンスが良い、などでも十分に高評価に繋がるから、「高評価なのにあんまり旨くないじゃねえか」、という批判が起こってくる。

 これが「食べログ」の犯した過ちだ。食は、ユーザーが最も求める「旨いかどうか」を前提に語るべきだったのだ。店主がどうとか、店がどうとかは、備考や感想に書いてあれば良くて、まずはとにかく、「旨いかどうか」なのだ。

 ホリエモンのプロデュースする「テリヤキ teriyaki.me」は、「食べログ」を批判するユーザーの満足になるだろうか、「食べログ」に取って代わる新しいサービスに成り得るだろうか、密かに期待している。

(平成26年3月10日 アシベズヘア@ashibehair_m

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  1. ピンバック: 「yelp(イェルプ)」に流れても結末はきっと「食べログ」と同じ | materialize.jp

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