メダル噛む自由と御国の為の戦い

Atos in the Olympic Park in Sochi
Atos in the Olympic Park in Sochi / Atos International

 竹田恒泰のツイッターが発端となった今回の「メダル噛む=みっともない」問題、渡部絵美と為末大が「好きにすればいい」と擁護しているのが個人的には面白い。

 竹田恒泰はJOC会長の長男である為、立場上の発言もあったかもしれないが、賛同者が多いということは、「品がない行為だ」と感じていた国民は多かったということだ。

「メダル噛むな」に渡部絵美と為末大 「好きにすればいい」
http://news.mynavi.jp/news/2014/02/20/405/

 昔、何年か前のオリンピックである選手が4回転ジャンプに失敗してメダルを逃した時、岡村隆史がラジオで「なぜ自分の為に4回転に挑戦したのか、なぜ日本の為にメダルを確実に取る方法に専念しなかったのか」と発言したことがあり、私はそれ以来ナイナイのラジオを一切聴かなくなったのだが、オリンピックを観ている人には大きく分けて二通りの見方があるのだなとこの時に初めて知った。

 「日本の為の戦い」として観ている人たちと、「個人の為の戦い」として観ている人たちの二通りがいるのだ。私は完全に後者として観ていて、前者についてはまったく考えもしていなかったので、この時は本当に岡村隆史の発言には度肝を抜いた。そういう考え方があるのだなと。

 このオリンピックが完全に国対国の戦いなら、岡村隆史の考え方はとてもよく理解できるのだが、スポーツを極めるということは、果たして国の、日本の為のことなのだろうか? そうではないというのが、渡部絵美と為末大の「好きにすればいい」という発言に私は表れていると思っている。「メダルは国のものじゃなくて個人のものなので――」。選手たちにとっては自分の為の戦いであって国の為の戦いではないのだ。

 国母和宏の服装の問題もそうだ。日本は「御国の為」という精神が根強く残り過ぎている。国の代表としてどうあるべきだ、という思いが強過ぎる。私はそれが逆に恥ずかしい態度であると彼らに言ってやりたい。メダルを噛じる品の無さに目がいき、その選手の功績を讃えられない国民性が、私は逆に諸外国に対してとても恥ずかしい。非常に個性的で優れた能力を持った子供に対して母親が周囲の子供たちと違うという理由で叱責してしまうのと同じくらい愚かな行為だ。まずその成果を認めるという心を日本人は学んだ方が良い。

(平成26年2月21日 アシベズヘア@ashibehair_m

メダル噛む自由と御国の為の戦い」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 電車は「危ない乗り物」だったか? | materialize.jp

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