日本人は結局のところ生きることに臆病なんだと思う

クラーク像
クラーク像 / iyoupapa

 ブログ「外から見る日本、見られる日本人」の記事「少年よ、大志を抱け!」(2014年2月9日)を読んでいると、日本人ってのは結局のところ、とても臆病な民族なんだなって思わされる。

それは言い換えればやり直しが効かない日本の社会構造ともいえるかもしれません。子供から見ればなぜ、いま、こんなに勉強し、ワンランクでも上の学校に行かねばならないのか、正直、自覚がどこまであるかは疑問です。学校の先生から、あるいは塾の先生や仲間から、そして親からはっぱをかけられ、とにかく試験でよい点を取るということに自分のマインドが完全に支配されている人も多いでしょう。

 例えばこのやり直しが効かないという件に関しては、実際は本人の強い意志さえあればいくらだって再スタートは切れるはずなのに、さもそれができない社会構造になっているかのように小さい頃から親も教師も刷り込んでしまっていて、非常に安全な道(安全だと思われる道)だけを進むように強制(矯正)してしまっている。人生の岐路はいくらでもあって、いくらでも選択自由なのだということをこれっぽっちも教えない。これは愛といえば愛なのだが、とても歪んだ愛だと思う。

 「落ちこぼれ」なんて言葉はまさにそうで、その安全と思われる道から子どもたちが落ちないように愛の脅迫をし続けているのだが、かと言って落ちてしまった子どもたちには手も何も差し伸べやしない。落ちたら終わり、はいさよなら。もうその子たちの人生は終わったかのような態度を平気で大人たちは取る。とんでもない、人生はまだまだこれからだ。ということを教えない。

 そもそも社会人になって独り立ちして色々なことを自分で考えられるようになって、それでだいたい10年くらい過ぎてみないと、本当の自我なんて芽生えないし、本当に自分がやりたいことなんてのは、それくらいにならないと分からないものだ。右も左も分からない子供の内から高学歴と安定した企業への就職を迫られても、それこそマインドコントロールされてしまうだけだ。なんとなく大学へ進学してしまうなんてのもこの強迫観念からだ。本当に大学へ行きたいと思った時に行かなければその四年間は無駄なだけだ。

 学生時代に勉強をしてこなかった親ほど臆病で、自分の子供には同じ思いをさせまいと子供を塾漬けにしたり学習教材を大量に買い漁ったりする。塾なんてのは勉強のキッカケ作りに過ぎないのに、成績が思うように伸びず親の描いた将来像に結びついて進んでいないと、猛クレームを入れたりする。確かに80年という寿命を存分に謳歌するにはこのブログにもあるように超特急で快適に進むことを望まれるかもしれないが、人生は80年もあると考えれば、いくらだってやり直すことができると思えないだろうか。例えば今30歳だとしたら、あと50年あるわけで、もうやり直しができないというのが本当だとしたら、残りの50年間、今を気に入っていない人は、ずっと苦しんで生きなければならないということになる。地獄じゃないんだから、振り出しに戻ることを許してあげよう。自分自身に。

日経ビジネスの特集「シリコンバレー4.0」にベンチャー活動世界最下位の日本が大きく取り上げられています。そしてシリコンバレーのおひざ元、スタンフォード大学では卒業生の29%が起業し、約4万社が卒業生により作られ、280兆円の年間収入を生み出すとあります。この数字を見た時、一流企業の名刺に喜びを感じるために青少年時代を犠牲にしてきたことが果たして正しかったのか、という疑問を感じているのは案外自分自身であります。

 起業した卒業生たち、彼らはきっと楽しいに違いない。せっかく生まれてきたんだから、それを喜びに変える生き方をしましょう。

(平成26年2月10日 アシベズヘア@ashibehair_m

note版:結局のところ、生きることに臆病なんだと思う

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です