Question and Answer time / Daa Nell
日本の学校は生徒が疑問に思うこと、生徒の自発性を抑圧するような態度を教師に取らせていると常々思う。
教師が予習して臨んだ授業に対して生徒が無邪気な質問をしても、それが教師の想定の範囲に収まっていない質問なら、それを何らかの形で無視する、破棄する慣習が出来上がってしまっている。それを生徒、子供たちは学習してしまい、いつしか疑問を抱いてもそれを教師に、そして大人たちにぶつけなくなる。非常に悪しき慣習が出来上がってしまっているのが日本の教育だ。
私が塾の講師をしているときに一人の生徒が、学校の教師が耳を傾けもしてくれなかったというある疑問、質問を投げかけてきた。私も即答できなかったので、「時間をくれ」と断りを入れてから、丁寧に回答してあげたのだが、この生徒、中学三年生の男の子なのだが、想像していた以上に、喜んでいた。
彼が言うには、学校は当然のこと、こんなに丁寧に質問に答えてくれる「大人」はいなかったと言うのだ。それから少しずつ私の下に質問、疑問をぶつける子供たちが増えていった。そう、子供たちは、大人が「そういうものだから」と吐き捨てるものに対して無邪気に疑問を抱き、そして素直にそれを知りたいのだ。
社会人になっても日本人が消極的なのは、暗黙の了解を大人が子供たちに刷り込んだからだ。そして阿吽の呼吸が美だと思っている日本全体がおかしいのだ。リタイアして、老後に小中の学習を行う人が少なからずいる、主婦になってから学習する人も多い。そういう人たちは決まって「今になって勉強が楽しいと思う」と言うのだ。これは何故か? 疑問に答えてくれる人が周りにできたのと、社会経験から小さい頃の疑問が解消されているからだ。
つまり、無視されない、疑問を肯定し回答してくれる、もしくは答えの導き方を一緒に考えてくれる環境であれば、勉強は楽しいということだ。疑問を否定され、とにかくおまじないのように「こういうものだ」と刷り込まれてきて、勉強が楽しいわけがなく、つまらないということは何も身につかないということだ。
A New Japanese 7th Grade Classroom / A is for Angie
日本の大学生のレベルが低いのは、大学のカリキュラムが自主性を重んじるからだ。授業の選択、研究。疑問に思い質問し調べ解決していくというプロセスを否定され続けた日本の子供たちは、突如許された環境に戸惑うことしかできず、とにかく最低単位を取得し如何にサボるかを考え、そして何も身につけぬまま卒業していく。
いつしか、分からないこと、疑問を抱くことがまるで「悪」であるかのような風潮さえ生まれている。「そんなことも分からないのか」「もっと勉強しろ」、これはつまり、一人で解決しろ、と言っている。一方的に聞き入れて自分一人だけで消化吸収し次のステップへ行けと言っている。これが何を生み出すか、想像するだけでも恐ろしい。
日本の教育はもう変わらない。それこそ革命でも起こらない限り。なので、学校教育から子供たちを救い出すことを真剣に考えていくべきだ。この国は、死にゆく老害どもに金を掛け、未来のある子供たちに金を掛けない。日本という国に期待するのもバカというものだ。
子供の疑問を吐き捨てる学校の代わりに、それに答えてやる社会が必要だ。学校の外なら応えてくれる、せめてその救いを用意してやるべきだ、早急に。大人の背中を見て育つ時代は終わった。背中が粗末な大人ばかりの時代だということを認識しなければならない。
株式会社ユビキタスエンターテインメントの清水亮氏が似たようなことをTwitter(@shi3z)で呟いていたので、以下に引用する。
@shi3z 答えられない教師は多かったですよ。僕が塾講師をやっていた頃に教えてた中学生も愚痴ってましたが、授業のことでも教師の回答はなかなか得られないし、授業以外のことなんか聞いてもくれない。教師がカリキュラムを超えた対応をできなくなっているんですよ。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
@shi3z 学校以外のことを親身に聞いてくれる教師なんてドラマ以外で見たことないですよ。廊下を自転車で走っていても無視ですからね。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
@shi3z そもそも社会人を経験しないで学生からそのまま学校に戻った教師が、子供の無邪気な発想の多様な質問に対応できないと思うんです。とても閉鎖的な考えしか持ち合わせていないんじゃないかって。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
@shi3z 小さい頃から空気を読まされる、というのもあると思います。質問することで授業の流れを止めてはいけない、自分だけ分からないなんて言えない、聞いてるだけで100を理解する、ってことができないと劣等生だと思わされるんですよね。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
@shi3z 大学で、前列ががら空きで、後列から席が埋まっていくのが見ていて悲しかったですね。授業は聞いてやり過ごすことが身についているというか。積極的に質問して発表した人には単位をやろう、となった講義は、ほとんどが単位を落としていました。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
@shi3z 塾にいたら、子供にちゃんと意味のあることを教えようと思う人は多かったですね。生徒を得ることで報酬が上がるというのもあると思いますけど、教師は子供の理解は関係ないでしょう。できないやつがいれば、教師が悪いのではなくて、子供の方が落ちこぼれと呼ばれる。おかしな話ですよね
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
@shi3z 私は子供の頃に早くからそういったことを感じていて、教師には諦めていましたね。関わっても無駄だって。それを学ぶのが日本の学校って気がするくらいに。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
初等教育のうちに子供たちの質問する力を奪ってしまうことは、害悪でしかない。そうして育ってしまった子供は、議論を避け、与えられた知識や常識に盲従するだけの存在になってしまう。
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
@shi3z 清水さんが仰る様に威厳を保ちたいというのが邪魔をするのか、生徒の質問に分からないと答える教師をほとんど見たことが無いですね。分からないから次会う時までに調べてくるよ、と言って調べて答えてあげたことがありますが、子供はすごい嬉しかったと言っていました。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
@shi3z 子供の知的好奇心も殺されていっていると思っていますよ、日本の教育は。即答する必要はなくて、知りたいと思うことに時間が掛かっても答えてあげる、難しければ自分で答えを見つけられるような導を示してあげる、これだけでいいんですけどね。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
例えば僕が中学校の頃、教育実習で来た数学の先生に「直線に太さや幅がないのならば、ある場所に存在する直線の数は無限大になってしまうのではないか」と質問したことがあった。彼は「そういうものだ」と繰り返すばかりで本質的なことを何一つ納得できるように説明してくれなかった。これは失望した
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
教師がそういう説明で押し切るのなら、つまり、教科書に書いてある以上のことは何も教えることができないということで、このごく基本的な疑問でさえ納得いく説明ができず、逆上してしまうのであれば、教師はどんどん威厳をなくしてしまう
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
もし、自分にもわからない問題だったら素直に「先生にもわからないなあ」というべきだ。
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
ちなみにいまの僕が中学生からさっきの質問をされたら、「むしろ逆なんだよ。二点を通る直線は一本しかないと考えることが、数学の決まりごとなんだ。数学とはゲームと同じで、ある人が決めたルールを守りながら、別の人が新しいルールを発見したり見つけたりしていく遊びなんだよ」と説明するだろう。
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
自分が無批判に受け入れてしまっているルールの根拠(もちろん、数学のルールは突き詰めれば根拠などない)を問われたとき、数学とは本質的にどういうものであるのかを忘れて子供相手に逆上してしまったら、子供は、質問するのをやめてしまう。
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
@shi3z 大学に入って教授や講師が確実に小中高の教師どもとは違うと感じたのは、教授や講師たちが逆に学生から学びたいという姿勢だったことです。学生の質問にすごい食いつくんですよね。興味を持って聞いてくれる。分かることはもちろん教えてくれますし、分からないことは一緒に調べようって
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
@shi3z 教育は絶対に一方通行ではダメですよ、教師だって万能ではないですから、清水さんが仰ったように分からないものは分からないと認めて、分からないのもを探求する面白さを教えてこその教育だと思います。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
もっとひどかったのは、度々言ってるけど小学一年生のとき、算数の時間に「3-5は?」と聞かれて、「-2」と答えたら「そんな答えは間違っている。お前はまだマイナスを習っていないのだから、"答えは無い"と答えるのが正しい答えだ」と国語専攻の教諭に言われて、頭来て泣きながら早退した
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
そんな質問を教えてないやつにするほうがおかしい。むしろ「答えが無い」なんていうのはウソだし。なんで「答えが無い」という哲学的な答えを引き出したかったのかも謎
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
@shi3z 今の世代、モンスターペアレントはゆきすぎかもしれませんが、教師に失望した世代が親になっているので、子供も親の影響で端から斜に構えてる感じがあると思います。だからこそ逆に、今まともな教育が示せれば子供の心にはより響いてくるんじゃないかと思ったりします。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
僕は子供の頃に自分が他人より賢いということに深い自覚がないまま育ったので、物凄く辛い思いをしました。いまも何処かでそんな思いをして泣いている子供がいると思うと辛くなります。僕にとっては大多数の普通の子供よりも、昔の自分のような思いをしている子供のことが可哀想で心配になります。
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
登校拒否で引きこもりになってしまう人はIQが高い人もかなりいるのではないかと思っています。だって日本の学校がそんなだから。僕はすぐ学校が嫌になって、親が国立大学の附属小学校に転入の手続きをとつてくれなかったら不登校になっていたと思います
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
@shi3z 私の場合、宇宙工学を専攻したくて相談したら、そんなとこにいっても就職で苦労するからやめろ、という返事でした。学びたいことを学ぶな、というのは驚きでした。私は弱くてそれでやめてしまったのですが、今でも後悔しています。いけばよかったって。
— アシベズヘア (@ashibehair) December 17, 2013
あんまり偏差値が高くない大学でも、東大あたりを退官した凄い先生が教えてくれるところもあるし、偏差値が高い大学でも大学から一歩も外に出たことがないような視野の狭い先生に当たる可能性もある。有名だけど研究はたいしたことない先生とかね。まあそんなもん高校生に判別できないんだけど
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
あるとき、それほど偏差値高くない大学を卒業した社員と話をしていた時、こいつ妙に教養があるなあと思ったら、東大を退官した某大先生が赴任した大学のゼミ出身だった。もちろんそれは偶然だったんだけど、指導教官の力量ってこういうところに出るのかと衝撃を受けた
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
ただ、この一ヶ月でアメリカで四回、スウェーデンで二回、関大で一回、慶應で一回、成蹊で四回くらい講義して見て、やっぱり日本の学生って欧米に比べて圧倒的に質問しないなって思った。日本はカンファレンスでも質問がぜんぜん出ないのが普通。ゲンロンカフェみたいな場でもなかなか出ない
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
自分でお金払って、わざわざ夜中に聞きに来てる講義なり対談なりを聞いて、気の利いた質問の一つも出来ないってのは本来、凄くマヌケな事なんじゃないかと思う。興味を持って聞いていれば疑問点は必ず出てくるし、出てこないとしたら聞いてるんじゃなくて聞き流してるだけってことだし。
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
僕をからかって喜ぶ人って、不思議とアイコンがアニメキャラのことが多いんですよね。自分の顔を晒すことに抵抗があるのでしょうか。この共通した性向がなぜ発生しているのかは興味深いですね
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 11, 2013
学校では教科書で教えた範囲までしか学んではいけない、その知識を使ってはいけないというのなら、学校の外では何も勉強してはならないということになります。そういう発想を突き詰めると、ひとつの価値観しか認めないポルポトや焚書を思い出して悲しくなりますね
— Ryo Shimizu (@shi3z) December 12, 2013
(アシベズヘア@ashibehair_m)
ピンバック: materialize.jp » 年収2000万円のエスパー伊東を笑うことはできない、彼から人間らしさを学ぶべきだ
ピンバック: materialize.jp » 一流のリーダーは「飲みニケーション」などしない
ピンバック: materialize.jp » 「惡の華」を読む、個人を殺して皆に従う社会をいつまで日本は続けるのか
ピンバック: 「惡の華」を読む、個人を殺して皆に従う社会をいつまで日本は続けるのか | www.materialize.jp
ピンバック: 日本人は結局のところ生きることに臆病なんだと思う | materialize.jp