自分史を自分の好きなテーマで自由に書いていると、あるところで、ふと気が付くことがある。
「これは小説のプロットを書いているのと同じではないか?」
「自分史」に囚われると自分のことがどうしても基準になってしまうのだが、「自分史年表 -Chroniclize-」アプリでは、「題名(タイトル)」の変更が可能なので、一人称ではない年表を作成することに抵抗がなくなると思う。
例えば、「大タモリ年表」というものがある。
なかなか書けないという人は、「自分史」という表現が、世界を限定しているのかもしれない。
偉人の伝承記であれば、それは「偉人伝」であり、それが自分であれば、「自伝」だ。
内容はとにかく自由だ。
自分の人生を書きたいように書けばいいわけだから、「題名(タイトル)」も自分に見合ったものに変えることから、始めてみたらどうだろうか。
自分の誕生を克明に記憶している人は、特殊な能力を持った人(飛影とか)を除いて、ほとんどいないだろう。
自分はどこで、どうやって生まれたのか、望まれていたのか、波乱があったのか。物心つくまでの自分の人生は、人から探るしかない。
何も、「自分自身の出来事」だけから年表を作成することはない、その時々の「社会的な出来事」からも人生を振り返ることは可能だ。
そして、この「社会的な出来事」というのは、「日本史」や「世界史」のことだけを言っているのではない。